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追補 李清照漢詩(五首)


追補 李清照漢詩(五首)

李清照の漢詩は断句も含めて二十首ほどある。
ここでは五首を揚げる。
なお、原詩と詩論の原文を一覧としてまとめてある。

  目次
絶句(夏日絶句・烏江)
春殘
題八詠樓
偶成
曉夢
 ・一覧・李清照の漢詩と詩論



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一覧・李清照の漢詩と詩論





 矇簔羔署鷸輜堕ナ互二首
五十年功如電掃,華清宮柳咸陽草。
五坊供奉斗雞兒,酒肉堆中不知老。
胡兵忽自天上來,逆胡亦是好雄才。
勤政樓前走胡馬,珠翠踏盡香塵埃。
何為出戰輒披靡,傳置荔枝多馬死。
堯功舜本如天,安用區區紀文字。
著碑銘真陋哉,乃令神鬼磨山崖。
子儀光粥不自猜,天心悔禍人心開。
夏商有鑒當深戒,簡策汗青今俱在。
君不見當時張說最多機,雖生已被姚崇賣。

君不見驚人廢興傳天寶,中興碑上今生草。
不知負國有姦雄,但說成功尊國老。
誰令妃子天上來,虢秦韓國皆天才。
花桑羯鼓玉方響,春風不敢生塵埃。
姓名誰復知安史,健兒猛將安眠死。
去天尺五抱甕峰,峰頭鑿出開元字。
時移勢去真可哀,姦人心醜深如崖。
西蜀萬里尚能返,南內一閉何時開。
可憐孝如天大,反使將軍稱好在。
嗚呼,奴輩乃不能道:「輔國用事張后尊」,乃能念:「春薺長安作斤賣。」


 感懷
宣和辛丑八月十日到萊,獨坐一室,生所見皆不在目前。几上有《禮韻》,因信手開之,約以所開為韻作詩。偶得「子」字,因以為韻,作感懷詩云:
寒窗敗几無書史,公路生平何至此。
青州從事孔方兄,終日紛紛喜生事。
作詩謝絕聊閉門,虛室生香有佳思。
靜中吾乃得至交,烏有先生子虛子。


 分得知字韻
學詩三十年,緘口不求知。
誰遣好騎士,相逢說項斯。


 偶成
十五年前花月底,相從曾賦賞花詩。
今看花月渾相似,安得情懷似昔時。


 詠史
兩漢本繼紹,新室如贅疣。
所以嵇中散,至死薄殷周。


 烏江
生當作人傑,死亦為鬼雄。
至今思項羽,不肯過江東。


 曉夢
曉夢隨疏鐘,飄然躋雲霞。
因緣安期生,邂逅萼儔據
秋風正無髻た痰原粍羃屐
共看藕如船,同食棗如瓜。
翩翩座上客,意妙語亦佳。
嘲辭斗詭辯,活火分新茶。
雖非助帝功,其樂何莫涯。
人生能如此,何必歸故家。
起來斂衣坐,掩耳厭喧嘩。
心知不可見,唸唸猶咨嗟。


 春殘
春殘何事苦思鄉,病裡梳妝恨髮長。
樑燕語多終日伴,薔薇風細一簾香。


 夜發嚴灘
巨艦只緣因利往,扁舟亦是為名來。
往來有媿先生,特地通宵過釣台。


 題八詠樓
千古風流八詠樓,江山留與後人愁。
水通南國三千里,氣壓江城十四州。


 上樞密韓公工部尚書胡公三首並序
紹興癸丑五月,樞密韓公、工部尚書胡公使虜,通兩宮也。有易安室者,父祖皆出韓公門下。今家世淪替,子姓寒微,不敢望公之車塵;又貧病,但神明未衰落,見此大號令,不能忘言。作古律詩各一章,以寄區區之意,以待採詩者云。
 其一
三年夏六月,天子視朝久。
凝旒望南雲,垂衣思北狩。
如聞帝若曰,岳牧與群後。
賢寧無半千,運已遇陽九。
勿勒燕然銘,勿種金城柳。
豈無純孝臣,識此霜露悲。
何必羹捨肉,便可車載脂。
土地非所惜,玉帛如塵泥。
誰當可將命,幣厚詞益卑。
四岳僉曰俞,臣下帝所知。
中朝第一人,春官有昌黎。
身為百夫特,行足萬人師。
嘉佑與建中,為政有皋夔。
匈奴畏王商,吐蕃尊子儀。
夷狄已破膽,將命公所宜。
公拜手稽首,受命白玉犀。
曰臣敢辭難,此亦何等時。
家人安足謀,妻子不必辭。
願奉天地靈,願奉宗廟威。
徑持紫泥詔,直入黃龍城。
單于定稽顙,侍子當來迎。
仁君方恃信,狂生休請纓。
或取犬馬血,與結天地盟。
 其二
胡公清人所難,謀同協心志安。
脫衣已被漢恩暖,離歌不道易水寒。
皇天久陰后土濕,雨勢未回風勢急。
車聲轔轔馬蕭蕭,壯士懦夫俱感泣。
閭閻嫠婦亦何知,瀝血投書干記室。
夷虜從來性虎狼,不虞預備庸何傷。
衷甲昔時聞楚幕,乘城前日記平涼。
葵丘踐土非荒城,勿輕談士棄儒生。
露布詞成馬猶倚,崤函關出雞未鳴。
巧匠何曾棄樗櫟,芻蕘之言或有益。
不乞隋珠與和壁,只乞鄉關新信息。
靈光雖在應蕭蕭,殘虜如聞保城郭。
嫠家父祖生齊魯,位下名高人比數。
當時稷下縱談時,猶記人揮汗如雨。
子孫南渡今幾年,漂流逐與流人伍。
欲將血淚寄山河,去灑青州一坯土。
 其三
想見皇華過二京,壺漿夾道萬人迎。
連昌宮裡桃應在,華萼樓頭鵲定驚。
但說帝心憐赤子,須知天意念蒼生。
聖君大信明如日,長亂何須在屢盟。



 詞論
   樂府聲詩並著,最盛於唐。開元、天寶間,有李八郎者,能歌擅天下。時新及第進士開宴曲江,榜中一名士,先召李,使易服隱姓名,衣冠故敝,精神慘沮,與同之宴所。曰:「表弟願與坐末。」眾皆不顧。既酒行樂作,歌者進,時曹元謙、念奴為冠,歌罷,眾皆咨嗟稱賞。名士忽指李曰:「請表弟歌。」眾皆哂,或有怒者。及轉喉發聲,歌一曲,眾皆泣下。羅拜曰:此李八郎也。」

自後鄭、衛之聲日熾,流糜之變日煩。已有《菩薩蠻》、《春光好》、《莎雞子》、《更漏子》、《浣溪沙》、《夢江南》、《漁父》等詞,不可遍舉。五代干戈,四海瓜分豆剖,斯文道息。獨江南李氏君臣尚文雅,故有「小樓吹徹玉笙寒」、「吹皺一池春水」之詞。語雖甚奇,所謂「亡國之音哀以思」也。逮至本朝,禮樂文武大備。又涵養百餘年,始有柳屯田永者,變舊聲作新聲,出《樂章集》,大得聲稱於世;雖協音律,而詞語塵下。又有張子野、宋子京兄弟,沈唐、元絳、晁次膺輩繼出,雖時時有妙語,而破碎何足名家!至晏元獻、歐陽永叔、蘇子瞻,學際天人,作為小歌詞,直如酌蠡水於大海,然皆句讀不茸之詩爾。又往往不協音律,何耶?蓋詩文分平側,而歌詞分五音,又分五聲,又分六律,又分清濁輕重。且如近世所謂《聲聲慢》、《雨中花》、《喜遷鶯》,既押平聲韻,又押入聲韻;《玉樓春》本押平聲韻,有押去聲,又押入聲。本押仄聲韻,如押上聲則協;如押入聲,則不可歌矣。

王介甫、曾子固,文章似西漢,若作一小歌詞,則人必絕倒,不可讀也。乃知詞別是一家,知之者少。後晏叔原、賀方回、秦少游、黃魯直出,始能知之。又晏苦無鋪敘。賀苦少重典。秦即專主情致,而少故實。譬如貧家美女,雖極妍麗豐逸,而終乏富貴態。黃即尚故實而多疵病,譬如良玉有瑕,價自減矣。


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五 曉夢


  曉夢   李清照
曉夢隨疏鐘, 飄然躡雲霞。
因緣安期生, 邂逅萼儔據
秋風正無頼, 吹盡玉井花。  (元績=無頼)
共看藕如船, 同食棗如瓜。
翩翩坐上客, 意妙語亦佳。  (坐=座)
嘲辭鬥詭辯, 活火分新茶。  (鬥=闘)
雖非助帝功, 其楽莫可涯   (莫可=何莫)
人生能如此, 何必歸故家。
起來斂衣坐, 掩耳厭喧嘩。
心如不可見, 念念猶咨嗟。   (如=知)
            ( )内は異本

暁の夢 疎鐘に随ひ
飄然(へうぜん)として雲霞を()み、
安期生に因縁して
萼緑華に邂逅(かいこう )す。
秋風は正に頼る無く
玉井の花を吹き尽くす。
共に看る(はちす)は船の如く
同じく食する(なつめ)(うり)の如し。
翩翩(へんべん)たり坐上の客
意は妙にして語も亦た佳なり。
嘲辞 詭弁を闘はし
火を活かして新茶を分かつ。
帝功を助けざると雖も
其の楽みは(はて)る可く()く、
人生 能く此くの如くなれば
何ぞ必ずしも故家に帰らん。
起き来って衣を(おさ)めて坐し
耳を(おほ)ひて喧嘩を厭ふに
心は見るべからさる如く
念念 (なほ)咨嗟(しさ)す。



・疏鍾・・まばらな鍾の声。
・飄然・・ふらりとやって来るさま。こだわらないさま。
・躡・・そっと足を運ぶ。
・因緣・・由来。
・安期生・・千歳の長生を得たという、秦時代の仙人。秦の始皇帝が長生の教えをこうために謁見したが、蓬莱山に捜しにくるようにといい、姿をけしてしまった。金液の服用により長寿を得たと伝えられる。李少君(安期生の弟子)は安期生に瓜のような大きなナツメをもらって食べて長寿を得たという。
・萼緑華・・古代の伝説中の南山の美少女、仙女。
・邂逅・・思いがけなく出会うこと。めぐりあい。
・無頼・・頼みにするところのないこと。
・玉井花・・韓愈の詩「玉井蓮詩」に「太華峰頭玉井蓮、開花十丈藕如船」"の句がある。
・藕・・蓮(はす)。ここは蓮の葉。「如船」は韓愈の詩による。
・棗・・ナツメの実。李少君の故事による。
・翩翩・・軽やかにひるがえるさま。ひらひら。かるがるしいさま。
・嘲辞・・あざけりの言葉。お茶比べの言葉であろう。
・詭弁・・間違っていることを、正しいと思わせるようにしむけた議論。
・活火・・「茶須緩火炙、活火煎」
・分新茶・・宋代の分茶という遊び。抹茶にお湯を注ぎ、茶筅で泡を立て花や動物などを図案を作り出す遊び。宋では新茶の季節に必ず「斗茶(闘茶)」が行われ、范仲淹の詩では「勝者登仙不可攀、輸同降将無窮恥」(勝てば、仙人になったように偉くなり、近よりがたい。負ければ、投降した将のようにその恥は窮まりない。)と詠われている。
・斂・・おさめる。斂衣は装いを整えるの意。
・喧嘩・・騒がしさ。
・猶・・なお、いまだに。
・咨嗟・・なげき嘆息すること。


【詩意】
(喧騒の時代にあって幻想的な中に身を置く冥想的詩篇。目覚めれば国家についても身の上についても辛く悲惨な状況にある。)

明け方に見た夢は まばらな鍾の音に乗って
ふらりと雲霞の中に入り込み、
千歳の長生を得た安期生に因み
美少女の仙女萼緑華に巡り逢いました。
秋風がちょうど無法にも
玉井の蓮の花を吹き尽くしています。
共に看る蓮の葉は大きくまるで船のよう
同じく二人で食べる棗も瓜の如くに大きいのです。
軽やかな坐上の客は
気持ちは言葉で表せないほどすばらしく言葉もまた美しいのです。
茶の善し悪しをあれこれと論じ比べ合い
湧かしたお湯を注いで新茶を楽しみます。
こんな楽しみが帝の功を助けることはないといっても
終わるはずはなく、
人生も都合よくこのようであれば
どうして必ず故郷に帰ろうと思うでしょうか。
目覚めた後、起きなおって装いを整えて坐ってみますが
世の中の喧騒は耳をおおうばかりでいやになります。
心の中は実際には見ることもできないのですが
その思いにただただため息をつくばかりです。



参考
  玉井蓮詩  韓愈
 太華峰頭玉井蓮,
 開花十丈藕如船。
 冷比雪霜甘比蜜,
 一片入口沈痾痊。
 我欲求之不憚遠,
 青壁無路難夤緣。
 安得長梯上摘實,
 下種七澤根株連。


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四 偶成


  偶成  李清照
十五年前花月底,
相從曾賦賞花詩。
今看花月渾相似、
安得情懷似往時。 

十五年の前 花月の(もと)
相ひ従ひて(かつ)て花を(たた)ふる詩を賦しき。
今 花月を看るに(あたか)も相ひ似たるも、
(いづく)んぞ往時に似たる情懐を得んや。



・底・・下。「花底、はなのもと」
・相從・・(いっしょ)に寄り添う。 ・從・・したがう。附き添う。
・曾(かつて)・・以前。前に。
・賦・・(詩を)作る、吟ずる。
・渾(すべて・あたかも)・・すっかり、まるで、ほとんど。すべて、まったく。ほとんど…ばかり。
・安・・怎。(疑問・反語を表す語を下に伴って)どうして。なんで。

【詩意】
花と月の美しかった十五年も前の春の宵、その花と月の光のもとで、
夫と二人共に花を愛でて詩を創ったことがありました。
夫亡き今 花も月もまるで以前のままに美しいのですが
どうしてあの時の心浮き立つ想いを蘇らすことができましょう。


この詩は夫趙明誠が亡くなった後のものであるが、具体的な時ははっきりしない。
目の前の景色が以前夫といっしょにいた幸福だった生活を呼び覚まし、感慨深く思い、今の辛さが更に増幅される心情を詠っている。


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三 題八詠樓


 題八詠樓  李清照
千古風流八詠樓,
江山留與後人愁。
水通南國三千里,
氣壓江城十四州。
 
 千古の風流 八詠楼、
 江山 留め与ふるは 後人の愁ひ。
 水は通ず 南国 三千里、
 気は圧す 江城 十四州。



五十二歳のとき(紹興五年・1134年)、金軍が臨安に迫り、臨安の西南にある金華に避難したときの作。
・八詠樓・・玄暢楼のこと。南朝斉の東陽太守沈約が立てた建築物で、玄暢楼を詠んだ詩作八首に基づく名。浙省金華。
・後人愁・・後人はこの詩の場合、作者とその同じ時代の人を指す。愁は、八詠楼から見える国土が金の敵に侵略された憂い。
・水通・・川は流れている。
・三千里・・極めて広い範囲ことをいう。
・十四州・・ここは、江南一帯。広い地域の意。

 
【詩意】 
千古の昔から、風格高く風雅なたたずまいの玄暢楼。
この楼閣から眺める景色の美しいさは、却って、私の憂いを増すばかり。
川や運河は江南の広い地域を通って、南の各都市へ繋がり、
憂国の気が川沿いの広大な江南一帯の十四州までも圧している。


夫・趙明誠に死なれて後は、金の中原への侵略によって、南国の江南の地を逃げまわる生活を強いられた。その時の心境を表した詩のひとつである。
国破れ、北から南へ逃げる惑う戦乱の中で、八詠楼の景色のすばらしさを詠うことによって、南宋の皇帝や南宋官僚の腐敗を批判している。第2句の「江山」「留与」「後人愁」の言葉には、強烈な批判が含められている。


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二 春殘


 春殘   李清照    
春殘何事苦思郷
病裡梳頭恨髪長
梁燕語多終日在
薔薇風細一簾香

 春残(しゅんざん)何事ぞ(はなは)(きょう)を思ふ
 病裏(へいり)(こうべ)(くしけず)りて髪の長きを恨む
 梁燕(りょうえん)()多くして終日(しゅうじつ)在り
 薔薇(しょうび)風細やかにして一簾(いちれん)(かんば)


春殘・・晩春
苦・・しきりに、とても
梁燕・・梁の上に巣をかけている燕
語多・・燕がしきりにさえずり交わしている


【詩意】
春もゆこうとしているいま、何故かとても故郷が懐かしく思われます。
病床にあって、髪をすくと、あまりに長さが煩わしく思えます。
梁の上の燕は日がな一日さえずり続け、
庭の薔薇がそよ風に乗って簾ごしに薫っています。


堀辰雄は好きな本のひとつに『歴朝名媛詩詞』をあげ、そのなかでも一番好きな詩人は、李清照で、この「春残」を、「そのうたの意味はね、病み上がりの美人が、窓辺に頬杖でもついて、何かもの思いに耽っているとかすかな、ちょっと簾を動かすだけの風が吹いてきて、薔薇の匂いがかすかにしてきた、というようなものだけど──風ほそくして、なんて言うのはいい言葉でしょう、」と言ったという。(中里恒子の随筆「石榴を持つ聖母の手」)


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一 絶句 (夏日絶句・烏江)

  絶句 (夏日絶句・烏江)
      李清照
 生當作人傑,
 死亦爲鬼雄。
 至今思項屐
 不肯過江東。


生きて、当に、人傑と()り、
死して、亦、鬼雄と()るべし。
至今(いま)、項羽を思ふ、
江東()たるを肯せんせざるを。


・烏江・・安徽省を流れる川。項羽が劉邦によって滅ぼされた地。
・人傑・・衆に抜きんでて優れた人物。
・鬼雄・・幽鬼の中でぬきんでている者。殉国の英雄。
・至今・・今に至って。今なお。

【詩意】
人間は生きている間、人傑になるべきである。
たとえいつか死ぬ時になっても、鬼中の英雄になるべきのである。
今になっても、私は昔の項羽のことを懐かしく思ったのだ
彼はすくなくでも、死んでも、江東へ戻らないという気迫があったのだ。
 生きては豪傑となり
 死してまた英雄となれ。
 いま項羽を思う、
 逃げずに自刎した彼を。


この詩は、秦(前221-前206)末の武将、項羽(前232-前202)の物語を借用して、異民族の金に侵略され南方に逃れる皇帝と官僚たちの腐敗と不甲斐無さを批判諷刺するもの。
項羽は秦の暴政に対し立ちあがり、その強力な戦闘力により勝利し続けたが、最後に垓下で劉邦に敗れる。その際、追い詰められた項羽は逃げようと思えば逃げられたが、逃げては決起した時に江南から連れてきた8000人の若者の父母に会わせる顔がないといい自刎する。詩の、死してなお英雄となった、とはこの行為を指す。こうした歴史を表に出して、憤慨する気持ちを強く表現した詩であろう。


この時の項羽の詩。
 垓下歌  項羽
力拔山兮氣蓋世,
時不利兮騅不逝。
騅不逝兮可奈何,
虞兮虞兮柰若何。

力 山を抜き 気 世を蓋う
時 利あらずして 騅 逝かず
騅の逝かざる 奈何すべき
虞や虞や 若を奈何せん
(自分の力は山を抜き、覇気は世を覆うほどであるというのに、時勢は不利であり、騅(すい)も前に進もうとはしない。騅が進まないのはどうしたらよいのだろうか。虞(ぐ)や、虞や、お前の事もどうしたらよいのだろうか)騅は名馬、虞は項羽の愛妾で、自殺した虞美人の伝説はヒナゲシに「虞美人草」という異名がつく由来となっている。


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